この項は「運動と時間に関する考察」の時間に関する部分を読んでいただいたものとして書いています。
私は造語が多いので、語句が不明な場合そちらもお読みください。

ダイナミック定常宇宙
いたるところでダイナミックに変化し、全体では何も変わらない宇宙


時間
事象の遷移に感性のほとばしりを受け、周期の数えを当てて時間と成す。
生成流転の自然の営みを時間と名づける、あるいは生成流転の自然の営みに時間を感じる感性がある。

1)言いたいこと(前書き)
宇宙は加齢(歳を取ること)しない。減齢する領域、事象があるから。したがって宇宙には年齢はない。
私たちが使う時間は、加齢時間の印象が強く、その加齢時間は宇宙にあまねく行き届いている時間ではない。エネルギー密度の高いところに発生する事象のひとつである。

エントロピーが増大して最後は緩慢な均質な宇宙になるというモデルや、背景輻射、赤方偏移がインフレーション宇宙の証拠だとする見方ではなく、宇宙は過去も、今も、未来もいたるところでダイナミックに変化しつづけ、トータルとしては何ら変わらない姿を見せているというモデルの方が人の感性に合っているような気がする。大きさも無限であり、もちろんインフレーションもありえないという考え方の方がよいと思う。
ダイナミック定常宇宙である。
そういうモデルを構築するための理由を探そう。いささか情緒的ではあるが、その理由付けが私の主張である。

進化の話で、牙が長い方が生存競争に勝てるので牙はだんだん長くなる。そうして牙が丸まって自分のあごにあたるほどに成っても、同じ方向に進化しつづけやがて種が滅んでしまうという話を聞いたような気がする。
何か現象を見つけ、その理由を考えるとその理由が最初にありきの世界になってしまう。別の現象もその理由で説明しようとしてしまっていないだろうか。裸の王様の世界と通じるものがある。
やはり私は感性を大事にしたい。感性が納得する理由付けをしよう。
感性が納得するとは広い意味で、それは益虫、害虫の益虫でなくてはならない。人のために役立つ理論でなくては成らない。今回の私の考えはその点では今はまだ弱いかもしれない。

私の主張は、とどのつまりは感性による最初に結論ありきの論法になってしまっているかもしれない。さらに論法は情緒的過ぎるかな。確かに、だが、宇宙には果ても、始まりも、終わりもなく、時間にも始まりも終わりもないと言うのは妙に納得できる。気に入った人がいたら数字と、数学記号をつけて欲しい。


ダイナミック定常宇宙論を構成する要素として、おおざっぱに
1. 物質、空間、同質の考え(物質は空間の特異な領域である)
2. 支配場の考え(場の発生源が近傍を支配する)
3. 運動透過の考え方(宇宙には運動の特異点はない、加速度運動は絶対運動ではない)
4. 周数時間と、加齢時間の考え方(宇宙には背景時間は無い)
5. エネルギーと物質、時間の考え方(エネルギーが物質と、時間を作る)
6. 揺らぎと、数学(揺らぎがすべてをつかさどる、数学は自然の写し)
が有ると思っている。まだこの辺は固まっていない。

さて、本項はそのうち、周数時間と、加齢時間について考えたことを述べている。周数時間(以前は経時と呼ぶのが言いかなと思っていた。)と、加齢時間の考え方は別のところで詳しく述べている。かなり、重複しているかもしれないがご容赦いただきたい。今回のものはさらに考察をしたつもりである。
それでは本題に入ろう。

2)定義するから時間が存在する。
1秒の定義のように、セシウム原子の周期を数え時間の単位を定義する。時間は全く周期運動の数を数えることにより進む。しかしそこにあるのは生成流転の自然の営みである。その自然の営みはエネルギー密度が高いところでは不可逆変化となり過去未来の感性を生じさせる。その過去未来性、その生成流転の自然の営みから時間を形作る。
周期運動の周期の数えが増えるに従って、空腹感が発生し、昼と夜が繰り返し、齢を重ねる。昼と夜の繰り返しもまた、周期運動の数えである。
そして齢を重ねる部分ははっきりと加齢時間であり、不可逆反応である。

当たり前のことだが、化学反応の速度は濃度によって変わり、生化学変化の速さもそれを変えうる要因が存在する。地球は偶然に24時間で1周し、365日で太陽の周りを回る。
この周期が異常に長かったり、短かったりする天体に高等生命は誕生するだろうか。
われわれの6倍長い周期で自転する惑星で約6倍長生きする高等生命体があっても不思議ではないし、6分の1の周期で自転する惑星で6分の一しか生きられない高等生命体が有っても不思議ではない。これくらいの倍率では化学変化や、生化学変化が高等生命体を許容すると思うがどうだろうか。それとも地上で化学変化や、生化学変化が起きるくらいの濃度ひいては近傍のエネルギー濃度=時間の進み具合でないと、高等生命体は許容されないのだろうか。生命の寿命は多分惑星の自転とは関連付けは薄いのだろうが、ここでは話を簡単にするため比例するものとした。
この倍率が許容されるとしよう。彼らの時間の進み方はどんなだろう。
多分6分の一の生命体の時計はわれわれの6倍速く進む時計を持っている。そこでは非常にせわしなく、時間が経つように感じられるかもしれないが、おそらく彼らはわれわれと同じように、のんびりと、またせわしなく生活しているはずである。それが彼ら生まれた環境なのだから。
セシウムの周期は変わらないから、地上での10秒は彼らにとってもまた同じ時間の間隔である。しかしてその時間に対して彼らが感じるものはわれわれよりは長い時間ではないだろうか。彼らは地上のわれわれより速いスピードでその間に様々な仕事をするかな。それはわれわれにとっての1分の間隔に近くないだろうか。少なくともわれわれが感じる10秒よりはゆったりとした感覚にならないだろうか。
もともと、地球の6倍の速さで自転する惑星は自滅してしまうのであろうか。それともそのような速さで、ある大きさでは安定して存在できるのだろうか。そして大気を保つことができるのであろうか。
余談では有るが、生物の体内時計の1日の周期は24時間よりかなり短いと記憶している。それは生命が生まれた、太古の地球が今よりも高速で回転していたときの名残だそうである。それで夜仕事をする人もいる。こちらは別の理由か。

3)時間の橋渡し
私は時間には2種類有ると述べている。ひとつは加齢時間であり、エントロピーが増大し現在、過去、未来が存在し歳を取って行く時間と、もうひとつは経時時間(最近周期を数える、周数時間のほうがいいかなと考え始めている)周期運動の周期を数え、その数えが増大することにより、経っていく時間の2種類である。
加齢時間は質量をもエネルギーに換算してエネルギーに加えた場合のエネルギー密度の高いところ=銀河群、銀河系、太陽系、地上その他もろもろなど=で発現し、エネルギー密度が低いほうへ、つまりエントロピーの高いほうへとエネルギーが拡散する過程で発生する時間で、エネルギー拡散に密接に結びついている。その過程は負荷逆変化の連続である。(つまり銀河には歳がある。)
周数時間はエネルギー密度がどうであろうと、すなわちエントロピーが増大しようが、減少しまいがそんなことには無関係に刻まれる時間で、周期運動の周期の数が基準になる。この周期はじつは様々な周期との整合性から生まれた単位で、私達が一定であると決めているのに相違ない。
それではこの両者(加齢時間、周数時間)の関係は?。
経時(周数時間)はセシウムの原子の周期によって厳密に定義されている。全く周期運動の周期を数え、その数えた値が一定に達することに1秒経っていく。こうして経時の単位は厳密に決められた。
それでは加齢は?、定義は無い。
「1Gの重力下で、ある濃度のA液と、B液を仕切りを隔てた、ある形状を決められた容器に入れて、仕切りをどのくらいかの速度Z(この場合の速度は経時での速度)でひきぬいて、A液と、B液が反応してC液が50%に形成されるまでを1加齢時分(1分のこと)とする。」
とか、
「10のマイナス10乗ヘクトパスカルの気圧の空気中に99.999%の純度の球状の1Kgの鉄を一様に100度Cになるように加熱し、1Gの重力下で球体の表面の平均温度が50度Cになるまでを1加齢時分とする。」
としよう。ここでは例えばこんな風に定義すると言うことで、実際の時間はどのくらいかわからない。化学変化よりも温度拡散の方がよいと思うがどうだろう。ひょとすると、化学加齢時間、温度加齢時間で違うことは無いだろうなあ。
さて地上では1経時時分(1分のこと)=1加齢時分(1分のこと)であることは明白かな、多分そう決めたのであるからそうなる。これがわれわれの地球から遠望の宇宙の果てでも成り立つだろうか。この経時と、加齢の橋渡しはやはり決め事になってしまう、あるいは経験則からの約束事ではないかと言う気がする。遠望では成り立たないのかもしれない。そうなるともう、宇宙には時間などへったくりも無いと言うことになる。宇宙には時間は存在しないのである。私はこちらの姿のほうが宇宙の本質ではないかと思えてならない。でも多分、周期をつかさどるものと、熱の拡散、化学変化をつかさどるものの大元はいっしょでこんなことは起こらないのかな。

あるいは、人の感性が時間を作っていると言う見方もある。勿論経時は厳然としてある。セシウム原子による1秒の定義がそのよい例である。しかし数えるのは人である。周期の数えは数える人間のエントロピーが増大することを除けば、何も不可逆反応を呼び起こさない。数えるから時間が経つのであって数えなければ時間が経ったことは解らない。現実にもそういう風景や、いつまでたっても変わらない存在は多々見受けられる。
経時は数えなければ解らない。でも、おなかが減るのは数えなくてもわかるという厳然とした加齢時間が有る。エントロピーは増大するから観測すれば時間が経ったことが解る。だが、この経時と、加齢の橋渡しをする定義が無い。定理もない。宇宙にあまねく、普遍的に成り立つと納得させる橋渡しがあるのだろうか。

4)間の感性、加齢するから時間を感じる
時間の感性は厳然と存在する。朝と昼、空腹感と空腹感の間(ま、武道の間合いの間ですね)の覚え、間覚(これはかんかくと読む、私の造語)として、時間という間(ま)の感性がある。いやこの空腹感と、空腹感の間(ま)の覚えを時間という。間の覚えにはもう一つ視覚に訴える距離がある。こちらは空間と言う。
それと、宇宙に普遍的な時間が存在することは同じことだろうか。物理量としての周数時間も存在する。それは数えることによってその数えが増えることによって定量的な物理量となる。
しかし、加齢時間との整合性が無い。また整合性があったとしてもそれは経験則でしかない。厳密に定義された物理量だろうか。その点では周期の等時性と言う経験則でも同じだろうか。それは他の周期運動との比較による集合論的物理量となる。つまり回りの周期を見て整合性が取れるから等時性だと結論付ける。周期の等時性もほかの周期と比較するしかないのだから。どれが絶対かは解らない。
ひょっとするとこのように考えると、すべての物理量は周囲との比較による、集合論的整合量なのかもしれない。
言いたいことは、時間(ここでは計数時間)は絶対的に宇宙をあまねく進化、進めているものではなく、周りとの比較によって整合性が保たれるように決められた経験則の物理量であるということである。宇宙には背景時間は存在しないのではないか。
また現在、過去、未来を形作る加齢時間にいたっては、エネルギー密度よって簡単に変わる、時間の一面でしかない。宇宙の背景時間とは到底なり得ない。
エネルギー密度が高いからエネルギーが拡散し、エントロピーが増大する。エントロピーが増大すると、加齢する。加齢するから生成消滅する。生成(誕生)消滅(死)は特殊な事象の呼び名である。生成消滅するから歳がある。生まれてから何年と言う年齢ができる。銀河には誕生があり、おそらく死もあるから、銀河の年齢はある。宇宙は?。エネルギーが宇宙全体で拡散していくばかりなら年齢もあろう。しかし、ここは仮定の話であるが、希薄な銀河星間、又は大銀河群間空間で、私の言うようにエネルギーが物質へと析出するならばそこで輪廻のようにすべての事象が一回りする。エントロピーは広大な星間、銀河間、または銀河群間空間で減少する。全く持って宇宙の開闢以来と言う考え方はそこからは生まれてくるものではない。宇宙全体には時間という考え方は適用されない。銀河群(大銀河群?)が時間が適用される最大の大きさである。
エネルギー遷移がある=事象が存在するから、時間がある。加齢時間はその事象が一方向にエントロピーの高いほうに進むから存在する。加齢時間はまた、エネルギー密度が高い領域で発生する事象(の見方?)である。事象の一つとして加齢時間が有る。それは単純な2つの物体が近づき会合し再び遠ざかる一番単純な、会合事象と同じように事象の一つにすぎない。
たんなる存在を、エネルギー密度の高い星の住人が、現在、過去、未来に変える。地上ではすべての物体が落下するのと同じように、時間がすぎるのは地上の、そして近傍の星々の特殊事情である。一部を見るから時間が経つ。全体を見れば時間は経たない。
揺らぎの気まぐれによって、エネルギーが偏り、物質が生まれ、人がいて、そこで時間が経ってゆく。
周数時間で数えが増えてもエントロピーが増加しなければ歳を取らない。全く何も変化しない環境の中で時間を感じるだろうか。自分のおなかも減らない。歳も取らない。死なないし生まれもしない。増えない。ただ毎日、日が昇り、日が暮れる。すべては周期運動ですべてもとに戻る世界で時間を感じるだろうか。エントロピーが増えない世界はそういう世界ではないだろうか。エントロピーの増加なしで時間が経ったことがわかるのだろうか。回りはすべて繰り返しの周期運動ばかりである。エントロピーが増えなければ時間は存在しないと考えてよいのではないか。
生成流転の営みの中でエントロピーが増加する。近傍の存在そのものがよりエントロピーの高い存在に変わる。それで現在、過去、未来が生まれる。
エントロピーと書いたが木が成長するとエントロピーは増えるのだろうか。ねずみが増えるとエントロピーは増えるのだろうか。エントロピーとはちょっと違った概念が必要かもしれない。
やっぱり、成長するとき、成長してエントロピーが減るより多くのエネルギーが費やされエントロピーは増えるんだろうなあ。

太陽系の周りや、銀河の周り、銀河群の周りを調べてみよう。背景輻射は一様でないはずだ。当然物質ができたところの周囲は時間的スパンは有るがエネルギーが希薄になっているはずだ。濃い塩水が、過溶解状態の塩水を作って塩が析出するとき、時間のスパンは有るが、一時的にせよ(マイクロセック、ナノセック、ピコセックとか)析出した塩の周りの塩分濃度は低くならないだろうか。
こういう、地上の実験室で起きることと、宇宙のスケールが圧倒的に違う空間で起こることが同じだと言うことがすばらしいと思うんだけどどうだろう。これは揺らぎがどんな局面でも、どんなスケールでも同じように働いていることによるものだと思う。

5)事象元と物質元
次元のところで、この世界には一次元も二次元も、また四次元以降も存在しない。有るのは三次元という今私達がいる世界だけだと述べた。しかし私は事象元と、物質元と言うような見方ができる次元が有るのではないかと考えている。それはひょっとすると、時間と、空間のことかもしれない。とりあえず述べさせていただく。
運動は事象元にあり、物質は物質元にある。音楽は事象元にあり、音楽用CDは物質元にある。感性自体は事象の権化(「ごんげ」です)、事象連鎖の頂点であり、勿論事象元に有る。事象元にある音楽を物質元の何かの物質上に、再生(=再び事象元に取り出す)できるように情報を留めることを記録と言う。すべての情報は事象元で解読(意味のあるものになると言うこと)されるが、記録される場合は必ず何らかの物質が必要である。そして記録されることにより時間を超越する。つまり、事象元=時間の中漂っている、移ろう情報を時間から開放し、固定化する。この時間を超越すると言う特徴こそが記録の本質である。記録された情報は時間経過に耐えて未来にとどく。
それはまるで、事象元に漂うエネルギーを、物質へと固定化(トラップ)する様とまるでそっくりではないか。どこかで書いた物質の誕生の空想と一致していると思うがどうなんだろう。

物質なしではどんな情報も記録されない。われわれの脳が物質であることは疑う余地も無い。紙も物質である。インクだって鉛と、炭素の鉛筆の芯も物質である。ハードディスクも、磁気を記録するものもしかり、このようにありとあらゆる媒体は物質である。
勿論、まさに音楽そのものや、情報をもった目に入る光は物質ではない。その情報の意味が解釈される場合、その情報は事象であり、事象元にある。それは書きとめたり、記憶したり、録音しなければ移ろい消え去る。

事象と時間
事象があり、また別の事象がある。その2つの事象の隔たり(間)を事象距離=時間という。距離が近い順にA地点、B地点、C地点と言うように事象も自分のいる事象(意味不明ですな、自分が存在すると言う事象かな)に近い順という順番が有る。そして事象がすべて可逆事象、順番を逆にして事象が自然に進んでいくと言うことが起こるなら、事象の順番を逆回転できる。この世界が周数時間の世界である。事象と言えるかわからないが私達の周りには周期運動しかこの手の事象は存在していない。
この説明かなり違うかな。この項はいつかまたゆっくりと述べたい。

存在の認識もまた事象である。事象を通して存在を認識する。

6)結論
いろいろ時間について述べてきた。結論に移ろう。
物理的な整合性の単位として、周数時間は存在する。そして多分私が述べたような加齢時間と周数時間のずれはない。橋渡しは宇宙のどこでも成立する。つまり宇宙には背景となるような周数時間があるかも知れない。これは相対性理論の時間の遅れとかと関連するものではない。遠望(距離だけなく、観察者と被観察物との速さもけた違いに遠い)を観察するものではないのだから。遠望を観察しなければ相対性理論は持ち出す必要が無い。そしてその周数時間は変化をもたらすものではない。何も変化が無くとも、事象が全く無くても経っていく時である。
しかし私達が時間というときそれは「覆水盆に帰らず」のことわざが示すように歴史の中の時間である事が多い。そもそも私達の生が加齢時間の存在である。この加齢時間は宇宙にあまねく存在し、宇宙の齢(よわい)を推し進めるものではない。それは宇宙の中の局所的な存在であり、質量をもエネルギーに換算したときの近傍のエネルギー密度に大きく依存する。化学変化が濃度によって速さが変わるように、エネルギー密度が高いところほど、加齢時間は速くすぎる。確かに加齢時間も熱鉄球のような定義をすれば、周数時間と全く一致するだろう。しかし、こちらは多分原子の崩壊の半減期のような、考え方をするのがより本質を突いていると思う。より本質を突いているとはそう考えることがより私達の生活に有益、なじみやすいと言うことである。200度の熱鉄球が半分の温度になるまでと、100度の熱鉄球が半分になる時間はおのずと違う。周数時間では明らかに違うが、この高エネルギー密度の中にいる高等生物は半減期をもってして時間の感性を作るというようになっていないだろうか。その時間の感性は速かろうが、遅かろうが近傍のエネルギー密度によって形作られる。何はともあれ、密度が高いほうが速く変化をする。そこでの高等生命の時間の感性はこの際問わないことにしよう。
そうして宇宙には年齢は存在しない。勿論宇宙はビッグバンなどによって始まったものではない。
またある意味で過去も存在しない。あるのは事象元の生成流転の営みだけである。当たり前のことだが、「今」しか実在しない。記録や記憶を、意識が呼び起こして過去を作る。残念ながら、タイムマシンは絵空事の世界である。
過去は記録や、足跡や、記憶の中にある、現実の作用が及ばない事象である。作用が及ばないから過去は見ることも、触ることもできない。勿論タイムスリップなどしない。
どこかで述べたかもしれないが、現在、過去、未来も人間の感性が作り出した時間の捕らえ方である。あるのは単なる存在と、その存在同士の干渉、つまり事象に過ぎない。その事象の連鎖の頂点に感性がある。矛盾しているか?

7)前書きのリフレイン(ほとんど同じ繰り返し)
宇宙は加齢しない。減齢する領域、事象があるから。したがって宇宙には年齢はない。
私たちが使う時間は、加齢時間の印象が強く、その加齢時間は宇宙にあまねく行き届いている時間ではない。エネルギー密度の高いところに発生する事象のひとつである。

エントロピーが増大して最後は緩慢な均質な宇宙になるというモデルや、背景輻射や、赤方偏移がインフレーション宇宙の証拠だとする見方ではなく、宇宙は過去も、今も、未来もいたるところでダイナミックに変化しつづけ、トータルとしては何ら変わらない姿を見せているというモデルの方が人の感性に合っているような気がする。大きさも無限であり、もちろんインフレーションもありえないという考え方の方がよいと思う。
そういうモデルを構築するための理由を探そう。その理由付けが今まで述べた私の主張である。
進化の話で、牙が長い方が生存競争に勝てるので牙はだんだん長くなる。そうして牙が丸まって自分のあごにあたるほどに成っても、同じ方向に進化しつづけやがて種が滅んでしまうという話を聞いたような気がする。
何か現象を見つけ、その理由を考えるとその理由が最初にありきの世界になってしまう。別の現象もその理由で説明しようとしてしまう。裸の王様の世界と通じるものがある。

お咎めを受けるようなきつい言い方かもしれないが、中世に魔女がいると信じられ、魔女狩りが行われたヨーロッパの世界は他人事ではない。頑固かもしれないが宇宙が一点から始まって、大爆発を起こしたという話は私には考えにくい。現象の別の理由付けを探すような方向に動こうじゃないか。
感性を大事にしたい。感性が納得する理由付けをしよう。感性が納得するとは広い意味で、それは益虫、害虫の益虫でなくてはならない。人のために役立つ理論でなくては成らない。今回の私の考えはその点では今はまだ弱いかもしれない。
もっとも今のインフレーション理論が間違っているならば、どこかで矛盾が生じるはずである。それが見つからない限り理論は発展するのかもしれない。それを見つけることが大事である。

極論をすれば、時間とは人間が作り出したものと言う考えに行き着くかもしれない。こういう考え方が唯心視観を形作っていくのではないだろうか。逆におぼろげに唯心視観があり、そのおぼろげさがこの主張の全体のトーンを作っているのかもしれない。

大きな見方をすれば、真理とはどこかに確定したものがあって、それを見つけるものではなく、時代時代の考え方、感性に合致し、その時代に有益と考えられるものがその時代の真理になる。感性が納得し、時代に有益なものを真理という。どの時代の真理もはじめに感性ありきである。それは科学の世界でも同じではないだろうか。

私の話は最初に結論ありきなのだろうか。
よくわからないけれど、今まで学習したことや読んだことで自分なりの感性を作る。
例えば、無重力状態の宇宙空間で1Kgの鉄球と、10Kgの鉄球を同じ力で押す。どちらが先に進むだろうか。
答えは軽いほうである。無重力下でも、地上で軽いほうが速く動く。同じ論法で、無重力下でも宇宙船の船体は人が押しても速さを変えられるとか、とめられるとかどうなるものでもない。重さが無くても質量があるのだから。それは人にロケットエンジンをつけても同じである。船を動かすくらいのロケットエンジンは船についていなければ人がつぶれてしまう。(スプートニクなら動くかもね。それほど小さい。確か?)
科学に触れるものはこういう感性を磨こう。地上ではすべてのものが落下することを当たり前と思うように、宇宙でのできごとを感じられるようになろう。磨いた感性を信じて従おう。

最後にもう一度、
宇宙は局所的(大銀河群でも局所です)にダイナミックに活動し、そうして全体ではいつも変わらない姿を見せている。最初に結論ありきかもしれないが、こういうモデル−
ダイナミック定常宇宙−がすっきりする。