まえがき 10という数字は特別なキリのいい値である。ちょうど桁があがる。しかし自然界では何ら特別の意味を持たない。(あえて持たないと言わせてもらう。)奇異な感じがするが、人の指がたまたま10本有ったので我々は10進法を使うようになった。人が4本指であったなら8進法になっていたはずである。 しかし私たちは10が特別な数値であると考えているし、誰でもが10という値なら簡単に覚えていられる。このことを不思議と思わない。 4本指の宇宙人の世界では7の次に桁があがりその値、つまり我々の8が特別な値であり、誰もが簡単に覚えていられる数値である。 もっともどこの惑星でも知能を持った動物は同じ様な環境でしか発生せずに、そこではやはり5本指の人がいるのかもしれない。そういう意味では10は特別な数値である。 地上では高いところにあるものは支えを失うと落ちる。ニュートンの、リンゴが木から落ちる話はあまりにも有名である。そして上からものが落ちてくることは当たり前のことだと考える。太古の時代から長い時間をかけてやっと、大地が象や、亀の上に載っているのではなく、地球は丸くその球の表面に引き寄せられるということを発見した。宇宙ではすべてのものがどこかに落ちることなくふわふわと浮いて運動する。それでも子供の頃に、その事実を知った上でも地球の反対の人は落ちてしまうのではないかと心配する。 かく私たちは地上の出来事に左右されて物事を考える。できるだけ地上の特殊事情を排除して何が生まれるか私の空想にしばしおつきあいあれ。 最後に、自然界の事象は、時としてスケールの大小を超えて近似性を持つ事に触れている。このことは自然の事象がひとつの起因によって起こるのではないかと言うことを想起させる。例えば銀河と、台風はまるでそっくりな形をしている。発生のメカニズム、特に形を構成する要因はほとんど同じであると思う。原子構造と、太陽系も似ている。これを自然のフラクタル性と呼びたい。切手も切っても同じ顔の出る金太郎飴。この統一するものは何か。それに触れている。 |