7)意識が単なる存在を時間の中の存在にする
このように考えると、私達は時間の中にいるのではありません。
私達は存在(=意識の存在、唯心論的過ぎますかね)以外のなにものでも有りません。
ただただ存在しているのみです。
私達の記憶に時間という名前をつけているだけに過ぎません。こいう考えに沿って観ても時間は存在しない。ただ意識と、それが感知するもの(物とか感性)の存在のみが存在するだけということになりませんか。
そして運動や現象を類推し、記憶から類推し未来と名前をつけます。

ただし、感性はエントロピーとともに存在しますから、感性が時間の呪縛から解き放たれることは有りません。そういう意味で、時間は絶対存在です。そして今の世界ではこの考えによって成り立っています。つまり時間は絶対存在であると。

しかしながらそれはエネルギー密度の高い局所でしか起こりません。加齢するという意味においても感性が存在する=高等生物が存在すると言う意味においても、それはエネルギー密度が高くないと起こらないと思う。多分。そして、感性が捕らえたものが、唯物論的な側面を持ち、感性を離れて存在するとしましょう。(あるいは想像できる)するとその感性の無い世界では時間の無い世界が広がります。多分こちらが宇宙の本質の姿ではないかと思います。


変化しながら在ること。それが時間。加齢。

閑話休題その4
エネルギーの第一保存則
昔からおかしいと思っていました。こんなのどうでしょう。
位置エネルギーは落下して運動エネルギーに変わります。
運動エネルギーは上昇して位置エネルギーに変わります。
ではもっと上昇して重力圏を離れたらどうなるのでしょうか。
どなたか教えてください。もう再びエネルギーを取り出すことができません。
最初から重力圏の外にある物体が重力権に捉えられて落下してきます。
大気との摩擦で熱エネルギーを発散しながら、衝突しエネルギーを放出します。
このエネルギーはどこからくるのでしょう。

第一法則はこう読むべきではないかなという気がします。
系の範囲を変えない限りエネルギーは保存する。

系の範囲を変えない世界はあまりありません。
系の外との交渉が全く存在しない系は有りません。適宜系を変えればいいだけか。