第2章から書いています。

2.総ての物質の存在は集合論的(=相対的で)である。
すべての存在は集合論的=相対的である。物質の存在もまたしかり。

この章で言いたいこと
物質とは空間の特異な領域である。
また総ての物質の存在は集合論的(=相対的で)である。

物質とは、物があるのではなく、場の状態による、空間の性質である。物質もまた空間である。本質的には物質を形作る空間も、通常の空間も空間としては何ら変りはないし、エネルギーを通して相互に変遷する。その空間(場)の特殊な状態も、別の空間(場)の特殊な存在が有って始めて分かる、相互依存している。


星は自分の周りの質量を集め終えると、燃え、尽きて、ただただ重力を発散し少しずつ枯れていきやがて消滅する。

1)体積とは何か
体積とは通常、物質の占める空間の領域のことであり、他の物質との排他領域の界面、又は光の反射の界面に拠って区別される。

物質はどのように感知されるのか。
目に見える。触れる(さわれる)、風を感じる。
なぜ目に見えるのか。光を反射するから。なぜ触れるのか。体積があるから。
体積は界面によって形作られる。通常体積を形作る界面は光を反射する界面とほぼ同じ位置にある。その境界の中の領域が体積となる。
界面とは何だろう。それは逆に光を反射し、他の物質がそれ以上その物質の中心に近づくのを拒む体積を形作る境界である。ただしこの境界は、光や、他の物質とのせめぎあいの中でしか存在しない。その境界が、私にも見え、あなたにも見え、みんなが触れるから存在する。私にだけ見えたり、さわれるとそれは幽霊だ。
それでは、他の物質はどう体積を形作るのか。それは今まさに近づこうとした物質との拒まれた境界を共有して体積をなしている。
私に見え、あなたに見え、みんなに見えるから存在すると言う点で物質の存在は集合論的であり、物質と、物質が境界を同じ位置にした時に存在がわかるという点で相対的な存在だと思う。みんなが影響を及ぼし有っているから存在している。

物体と、物質
物体は物質が体積を持っていることに注目した物質の呼び名。体積又は体積があるという点に特に注目しない場合は物質となる。存在するすべての物質(多分原子以上)は、物体である。物体は界面を形成し空間に位置を占め、領域を占有している。

2)物質とは何か
物質とは空間の特異な領域である。
考えてみれば物質もまた空間の領域であり、何もない広がりを空間と名づけ、広がりという点では物質も何もない空間も同質であり、他の、物質と言われる空間の領域とのかかわりという点で異質な性質を持つものが物質である。

どのようにして界面が形成されるのだろう。界面は有る物体(例えば指)が他の物体(例えばキーボード)に近づくと、近づこうとする力と同じ力で押し返そうと反発する力によって形成される。その力がつりあうとそれ以上近づけなくなり、変形した接面が圧力を感じ、触れる。だから界面は近づこうとする力、圧力により、位置を変え体積が小さくなったりする。
光を反射し、他の物質の界面を反発させるなら、そこには物体があるといえる。
私達の回りに有る物質がすべて界面を持っていて、例えば机の天板の表面は硬い表面で上に置いたノートがその天板を突き破ることなく上に乗っかり静止する。それは天板と言う硬いものが、ノートの表紙を支えている、ものがものを支えているようであるが、実態はその天板を作る原子が、ノートの表紙を作る原子を反発している。天板の原子は固体のような硬いものではなく、ただただノートの表紙の原子を反発しているだけの空間の領域の存在である。もちろん同時にその表面の原子は光も反射する。そこには固体や、気体といった考えではなく、ただただ相手を反発しているだけの空間の領域の存在である。
つまり物が有るかないかの区別は有るもの−ある空間の領域−が、他のものを反発したり、光を反射するかどうかである。例えばプラズマを閉じ込めるトカマク?だったかなでは、プラズマは強力な磁場の中に閉じ込められる、磁場の容器に入ったものではないか。磁場の容器は光を反発しないけれど、物質でできた容器(空間の領域を占めている)は光も反射するし、万有引力も発生させる。
こう考えると、空間の領域が他を反発したり、光を反射する状態が物質ではないのかと思う。物質とは、物があるのではなく、場の状態による、空間の性質である。
本質的には物質を形作る空間も、通常の空間も空間としては何ら変りはないし、エネルギーを通して相互に変遷する。

3)物質の誕生
物質は場がトラップされて形成される。

その特殊な空間の領域=物質はどのように形成されるのだろうか。
私たちの住む空間は場(重力場と、電場と、磁場)によって埋め尽くされている、いや場という、質量を持つもの、電荷を持つもの、磁気を持つものに作用するもの、というこれらの3つ遠隔で(伝わって)働く空間の性質がある。この場は絶えず変化する。特に私たちが生きているこの宇宙の近傍−地上、太陽系、銀河−ではエネルギー密度が高く顕著である。

場とは何か。

しかし宇宙のほとんどを占める空虚な空間では、遠くの光や、重力波によりゆっくり、また弱く変化する。ある広大な範囲の領域で場の重なり合いが大きく起こるようになる。ある時何らかの偶然によりゆれていた場の波が、自然の罠にはまり、固定化(トラップ)する。長い時間に渡り安定化し素粒子が生まれ、さらに原始レベルにいたっては電磁力を伴い他の物質に対し、強い力で結界を貼り、己を主張する。そうして物質が生まれる。もちろん素粒子でも他の物質との係わり合いを持ち、存在が知れる。素粒子は結界の力が弱く物質というには主張が弱いと思うが質量をもち他の物質に働きかけるから物質だろう。
物質が重力場を発生するのではなく、重力場が集中してトラップし(固まり)質量を作る。物質は空間の場の安定的な歪と言えないか。
その発生の原因は後述するが、そのメカニズムはどうなっているのか解らない。ディラックの海のように反物質とともに生成されるのかも知れない。
ソリトンが粒子性を持つのではなく、物質がソリトンに近い存在なのではないか。

かく空間の変異した特殊な領域が物質であり、その変異とは場のトラップである。相手の物質=空間の領域をそれ以上自分の領域に入れない力、光を反射するメカニズムは、原子を形作る電荷により発生する電磁場が形作る電磁力によってもたらされるものではないか。それは強い力である。ここでいう強い力は素粒子論の強い力とは無関係である。(私は素粒子論の強い力を知らない)強い力については又後で述べる。
素粒子は光を反射するか。光を反射するのは強い力による界面だけではないのか。

体積があるのだから、物質を形作る重力場の歪の傾きは、反発力のある界面に達するまでは窪んでいるが、界面からは底をなし窪みは閉じている。ブラックホールは界面を持たない空間の領域で底があるのか分からない。でも多分あるだろう。底に到達してもその底が全質量の中心付近であるならば、受ける重力は多寡がしれたものだろう。そんな恐ろしいものではない気がする。ひょっとすると私たちもブラックホールの底にいるのかもしれないし。

多分物資はその場の歪(ひずみ)の密度ゆえ、自身のエネルギーを少なくとも重力波によって、激しくは電磁波、熱輻射、光によって放出するのではないか。突出したものは削られる運命にあると考えるのが普通ではないか。その物質は、生まれた瞬間から重力場を放ち枯れていくのかどうか、どのようなメカニズムにより枯れていくのか分からない。4°Kの輻射により枯れずに安定しているのかもしれない。

こうして巨大な質量を持った星や、ブラックホールはエネルギー(=質量)を空間に放出し枯れていく。そうして放出された場は、さまざまなところで放出された場や、光(電磁波)と重なり、ある時トラップが起こりやすい宇宙の領域で物質へと誘われる。それはその周辺のそこかしこでも起こって、やがて水素が生まれ、再び星の物語が始まる。

ブラックホールは光をも吸収する、質量の塊ではないのかもしれない。その領域を通過するものからエネルギーを全て奪い、トラップさせ物質を生成している領域かもしれない。銀河がまさに生まれようとしている領域かもしれない。ダークマタ−がそんな領域か。?

空間と光と星自身がゆらぎの一部で宇宙全体のゆらぎを形作っている。物質もまたゆらぎの一部をなしている。銀河があり、集中していたり、何もない虚空が続いたりゆらいでいる。宇宙の揺らぎの帰結として今私たちがここにいる。銀河があり、太陽があり、星が見える。

光は物質か。
たとえば、光が粒子の性質を持つのは、連続した電磁場の波が、その一つ一つの波が半分トラップされかけていないだろうか。質量はゼロだったが、黒体輻射で、羽根が回ったよなこれはどうなんだろう。相互依存の考えからすると光は質量0の物質なんだろうとも思う。また寿命がやたら短い素粒子はトラップしかけて元に戻ったり、もっと安定したトラップに遷移していないだろうか。
電磁場は重力場のトラップと密接に関係している、とすれば赤方変異の説明ももっとうまく付くような気がする。電磁場がよく吸収されるのだから。
強力な静電遮蔽膜は存在し、また磁気遮蔽は不完全であるが存在する。しかし重力遮蔽はどんな形のものであれ実在していない。
上記のことから遠隔力と近接力はなんとなく説明がつきそうな気がする。


4)ドップラー効果と赤方偏移
救急車のサイレンが近づくと高い音で聞こえ、遠ざかる時は低い音で聞こえます。波(音−音波)の発生源が媒体(空気)の中を運動するとこの現象―ドップラー効果が起こります。空気という媒体は物質ですから簡単に運動が捉えられます。風です。
では電磁場の中を伝播する光は?。電磁場の運動は捉えられないのでしょうか。私には分かりません。光の速さは普遍といわれていますし、3章の支配場のCRTの説明では明らかに磁場は動いています。
ここではその議論はこれ以上しません。
さて遠い星ほど発した光の色が赤いほうにずれる、そう赤方偏移ですが、どうしてドップラー効果なんでしょう?。他に説明がつかないとドップラー効果くらいしかないと言うことでしょうか。こんなかくあれかしは如何でしょう。
遠い星から発せられた光ほど長い距離を冒険します。冒険の途中でははっきりと光をさえぎられたり(吸収されたり、反射したり)もしますが、運良く何もない場合でも素粒子の発生(物質の誕生)に荷担してエネルギーを少し取られてしまいます。遠い星ほどこのチャンスは大きくなります。そうして取られたエネルギーの分だけ波長が長くなっていきます。そうして赤いほうへずれていきます。

私たちは大きさのあるもの(有限のもの)に対して、膨らむといいます。大きさのないもの−無限の物も含めて−を膨らむというのはなじみが薄いと思います。宇宙は大きさがありませんから膨らみません。また別のところで述べるように年齢もありません。全ての事象の容器なのです。
私も都合良く近傍の感性を遠望の事象に当てはめたり、当てはめなかったりしているかもしれません。


2) 総ての物質の存在は集合論的(=相対的で)である。続く