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T.宇宙の大きさ(定常宇宙へのいざない)
宇宙
地球の外の自然の広がり
やがて地球をも含み
人がいて
事象の容器となり
時間と空間を包み込む
1.前書き
様々な、空想の世界を展開しています。なるべく科学的にとは考えていますが、本をあまり読まないので、「すなわち危うし」も多いでしょう。最近は少し見えるようになってきていると感じていますので、時間を見つけて本を読んだ後にまた書きたいと思っています。とりあえず感性の赴くままに「かくあれかし」の世界を書いています。どなたかそうかもしれないとでも思っていただけたら幸いです。中身は科学と言うよりは哲学的で、哲学と言うよりは科学的です。私は哲物理学と呼びたい。
結局、私がやろうとしていることは、「科学を私達の感性とマッチするものにしたい。感性が納得する説明をつけたい。」と言うことなのかもしれません。私達の感性が捕らえるものと、乖離してしまった現在科学をもう少し感性のほうへ引き戻したい。
時間はどんなに考えても、ここが始まりだという瞬間を考えられません。始まりがあったとしても、ではそれ以前はどうだったかと言う発想が誰でも自然に受け入れることが出来ます。また終わりもありません。それからどうなるのかと言う世界はまた自然に考えられ受け入れることが出来ます。
空間は同じようにここからは特定の方向に移動できませんという場所は物質などによって閉じられた空間−壁のようなもの−しか想像できません。それは空間が閉じているのではなく物質によって遮られているだけです。そして極めて当たり前のように、その外側はどうなっているのかと考え、その考えを誰でも当たり前のように理解します。空間の感性にも果てがありません。
その結果として、これから述べることの中には、最初に定常宇宙ありきの考えが多々見られます。宇宙と空間は区別できるなら宇宙には始まりはあるかもしれません。私は区別できないし、すべきではないと考えています。また時間は宇宙の始め以前から存在していると考えることのほうが自然だと思います。宇宙の始まりが時間の始まりで無いとするならば、それ以前の世界は何と言う世界なのでしょうか。宇宙以前の宇宙と言う世界なのでしょうか。宇宙が時間も空間もエネルギーと物質も、すべてを包含すると言う意味において、宇宙以前の宇宙と言う、その表現方法そのものも矛盾していますし、その宇宙以前はこの宇宙とどう違うのでしょうか。
さて、私達は有限の体積を持ったものがより大きな体積を持つとき膨張すると言います。無限のものに対しては膨張するとは言わない。無限のものは広がらないと言う感性を曲げて、「いや無限だけど広がるんだ」などとこじつけたくはありません。
私達は見て、感じて演繹、推論しその結果もまた感性に一致します。それが科学の世界だと信じています。結果が感性に一致しない推論や、演繹が最近はこびっていませんか。そして感性を結果にあわせようとしています。これは主客転倒ではないでしょうか。数学でも、化学でも、物理学でも、天文学でも、地学でも演繹し、推論した結果が感性に一致していました。どの辺からか結果が感性を無視しているような気がします。ただし、地上の出来事にならされていることと、感性が納得することは違うと思います。
本題に入りましょう。膨張宇宙論では宇宙の何が膨張するのでしょうか。勿論宇宙だ、などと野暮なことは言わないでください。少し考察してみたいと思います。

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