T.宇宙の大きさ(定常宇宙へのいざない)

4)宇宙の背景時間
宇宙がビッグバンによって始まったと言うのは
一つには宇宙に背景時間があるという考え方(背景輻射ではありません、背景時間です)
そしてそこから時間が始まった(宇宙の始まりだから時間の始まりでいいんでしょ?)
と言う考え方
一つには宇宙は有限であると言う考え方
に立っているのではないかと考えます。

宇宙の背景時間は多分存在しないだろうと言うことも「運動と時間に関する考察」で述べました。
かいつまんで話せば、時間は二種類に分けられるのではないだろうかということです。一つは計数時間であり、周期運動を数えることによって時間が経ちます。これを経時(ただ過ぎる(経る)時)と呼びましょう。つまりエネルギー変遷(事象のこと)のなかの周期の数えは背景時間(計数時間−周期の数えが単純に増えていくこと、数えることは別格視している)として存在しますが、それは地上の時間と違い必ず可逆的です。いやそういうことを超越している時間のような気がします。周りで事象が起ころうが起こるまいが経過していく時間です。ただしこの時間も数えることなしには経過しません。何も無いところでは時間は存在しません。この経時は宇宙の背景時間になり得ます。が必ずしも背景時間である必用はありません。周期運動とその近傍の時間を決めるだけでしょう。遠く離れた位置(遠望と呼びたい)にある2つの周期の定時性、周期の個体差の定時性は推測でしかあり得ません。
一方、エネルギー変遷(事象)はエネルギー密度の高いところでしか起こらず、この特異な領域で現在、過去、未来の地上の時間(加齢時間)が存在します。これがもう一つの時間です。こちらが地上で私達が通常時間といっているものです。地上では加齢が時間として扱われます。地上だけではなく、銀河やそれ以上広い領域でも加齢時間は存在します。でもこの加齢時間はおそらく宇宙の背景時間ではないはずです。エネルギー密度の高いところでしか観測されない時間です。つまり私達が感じている時間の感性を宇宙に当てはめることは出来ないと考えています。より大きなスケールでは未来が過去につながります。あるいはすべてを包含するので現在過去未来を超越していると言ったほうがよいかもしれません。端的にはエネルギーが物質へと析出する過程で過去に戻ります。希薄なエネルギーがエネルギー密度の高い領域に圧縮されます。エントロピーがこの過程で縮小します。これは全く輪廻の思想に基づいた考え方です。でもこちらが宇宙全体の本質のような気がします。
宇宙の背景時間が存在するとすれば、それは可逆的な計数時間でしかありません。そこには現在も、過去も、未来もありません。誕生以来何年と言う時間ではないのです。宇宙には加齢時間の背景時間は存在しません。定常宇宙だから、宇宙には背景時間が存在しないと考えられると言うことになります。ここでは結論が先にありきの考えをしています。勿論ビッグバンのような進化する宇宙だとしたら加齢時間は存在します。でもそれは、宇宙を銀河と同等な、エネルギー密度の高い空間の一領域へと、矮小化するものではないでしょうか。
さらに、時間は永久に未来に向かって流れつづけると考えるのが普通です。人類の滅亡とともにすべての事象が消滅する、と言う考えもありですが、時間はそれでも未来に向かって流れると考えるほうがすっきりします。
また逆に、いくらでも過去にさかのぼれるのでしょうか。宇宙のビッグバン以前には時間は存在せずに闇の時代だったのでしょうか。いや闇の時代も存在しません。闇の時代もまた時間の時代ですから。ビッグバンの考えではビッグバン以前の存在は考えてはいけないのです。それが始まりなのですから。
しかし、私達は時間も、空間と同じように、終わりと、始めと言う限りをつける感性を持ち合わせていません。いつまでも遡れるし、いつまでも未来に向かって流れるものだと感じるのが普通です。宇宙に始まりがあったとしても、その始まり以前を意識するのに何の抵抗もありません。同様に宇宙に終わりがあったとしてもその終わり以降を意識するのもまたごく単純なことです。だから感性的には始まりも終わりも無い、定常宇宙なのです。定常宇宙では御幣があるなら、膨張、収縮する宇宙を含めた、輪廻宇宙です。